器もまた人となり
慌ただしく過ぎ去る時間の中で手にした器が、暮らしを豊かに彩ることもあるはず。一人の書道を習い始めた少女が、大人になってから陶芸に目覚め、陶芸と書の総合芸術という分野を切り開いたお話です。
「あなたらしさ」の言葉がきっかけに
ふと顔を見上げれば目の前に広がる針葉樹。耳を澄ませば小鳥のさえずり。す~っと大きく深呼吸すると美味しい空気が身体いっぱいに行き渡る…。ここは「八仙窯」のアトリエ。陶芸家・福井梓さんが寡黙にろくろを回しています。この地を制作と安住の地と決め、立川市からやってきました。「小さい頃から父母に連れられてきた清里の空気が、私の中にインプットされていたのでしょうね」と話す物腰は柔らかく、優しく心に響きます。
父母の影響で陶芸教室に通い始めた福井さん。師事する曙三彩・小野雅代氏から作品づくりを課せられ、お皿に筆で文字を書いたところ「あなたらしさが出ている」と言われたそう。その言葉をきっかけに、福井さんの陶芸と書を融合させた器づくりは始まりました。
「紙とは違う楽しさはもちろんですが“あなたらしさ”という言葉が嬉しかったですね」。小学3年生のときに書道を習い始め、その頃から筆で表現することのおもしろさ、楽しさには気づいていました。今まで紙で表現するしか方法はないと思っていた彼女に、陶芸が自分の個性になると教えてくれたのが器でした。そこから福井さんは、線を求め、一線ずつしか書き進めない器づくりに没頭していくのでした。
器によって変わった人生観
「絵付けは、筆が、手が、勝手に書いてくれるのですが、陶芸は手の微妙な動きが土に伝わってしまい、上手に形成されず苦戦の連続。出来上がった器を見ても長いこと納得できませんでした」。ろくろを回す手が追いつかないジレンマも、やっと表現したい形になってきたと言い、自然と共存する暮らしの中で感じたことを作品にしているそう。「花が咲く春を待ちわびるように、焼き上がりを楽しみにして、待つその時間も貴重な時間です」
千描七弁紅華文鉢と名付けられた器は、一糸乱れず線が並び、彼女の幾多の時間を想像できるだけでなく、内に秘めた力強さというものが伝わってきます。琴線に触れ、私たちの前に現れた器は、福井さんの内側に向かって生まれたものを外側に向けて表現していく感情の偶像なのかもしれません。
「器が私の人生を大きく変えました」と福井さん。自然と向き合い、人と出会い触れ合うことで生活が変わり、人生は変わることができると教えてくれた器。「でも、形あるものはいずれ壊れていく。壊れるとわかっていながら、その器を選び大事にしていくことは、生きていくことに似ていますね」。