和紙のある暮らし 和紙に託したゆるぎない想いと手
「和紙」は、2014(平成26)年には「無形文化遺産」に登録。日本文化のひとつとして愛されています。保存性1000年以上と言われる和紙の独特の風合いや温かさは、人の「手」によって生まれたものだからでしょうか。 (2018年に取材したものです)
和紙の町としての誇り
「和紙の町」として広く知られている市川三郷町。この町は、古くから和紙の生産が盛んで多くの人々の心を潤してきました。「紙があるところは、歴史が古いんですよ」そう教えてくれたのは、伝統を守りながら和紙が持つ可能性を伝え続けている市川和紙工業協同組合・理事長の一瀬清治さんです。
1200年以上昔、全国3万の箇所に手漉きの手法が渡り、山梨県には平安時代に伝えられ栄えていったといいます。14世紀の文献には、市川の和紙のことを“美しい人の素肌のよう”という意味で「肌好(はだよし)」と記してあるほど、この頃から美しい和紙を生産していたことがうかがえます。
高度経済成長期の1955(昭和30)年代になると多くの工場が機械を導入。用途開発と技術革新を行い、手漉きと機械の2極化が進んでいきました。機械紙漉きによる障子紙が開発された頃、町でもその生産を始め、現在では障子紙シェア全国日本一を誇る町へと発展しました。調度品や民芸品までバラエティに富んだ製品も登場。このようにして、和紙は人々の暮らしの中に溶け込んでいったのです。
手漉き和紙と機械和紙、ふたつの共存
一瀬さんが営む金長特殊製紙株式会社は1964(昭和39)年、時代のニーズに合わせ機械化に踏み切りました。障子紙や書道の半紙を生産する傍ら、和紙に模様や色を施した業界初の製品を開発。
一方で、かつてこの町に約280軒あった手漉き和紙生産も今はたった1軒。時代とともに機械化となった工場が多い中、頑なに「代々受け継がれてきた、その灯を絶やしてはならない」と、豊川秀雄さんは「市川大門手漉き和紙」を守り続けています。
熟練の“手”から生まれる手漉き和紙は、「簀桁(すげた)」と呼ばれる3つの道具を使い、繊維状になった三椏(みつまた)と楮(こうぞ)の木を漉いていきます。繊維が何層にも絡み合い、それはそれは強くて大量生産では真似できない深みのある美しさが姿を表すのです。1982(昭和57)年から始まった町内の小中学生よる手漉き卒業証書づくりの指導や体験教室の活動も行い、豊川さんの想いとともに伝統を継承しています。
手漉き和紙と機械紙漉き和紙。歩んできた旅路は違っても和紙の伝統を守り、暮らしに新たな一面を持たせる希望、後世に繋ぐことへの想い…辿りつく先は一瀬さんも豊川さんも同じ。私たちの日常にも、和紙を少し取り入れるだけで温もりのある暮らしが実現できるのではないでしょうか。