“瓦”と“kawara” 過去から現在(いま)、そして託された未来へ。 「瓦」を世界に届けたい…ある瓦屋さんの100年の思い
日本最古の瓦は6世紀末。百済(韓国)の職人の手により飾られた飛鳥寺の屋根だったそう。日本人独自では、7世紀に入り藤原宮の建物に用いられたのが最初だったと言われています。聖徳太子がいる時代には瓦があったことになります。(2016年に取材したものです)
古の姿が今へと続く
コストカットや建物の軽量化という理由で、屋根に瓦がのっている景色を見かけることが少なくなりました。その灯火をひたすらに守る(有)一ノ瀬瓦工業があります。
日本では1400年の歴史がある瓦。寺院のみに使われてきた瓦が、一般家庭に普及したのは江戸時代末期ごろだと…。瓦は日本を象徴するひとつであり、古の都の姿をとどめます。素材はシンプルに土と水と火だけ。窯の中の焼成温度は1000度、その時発生する煙でいぶしていくという手法で「いぶし瓦」は作られます。行き場を失った炭素の結晶子が膜を作り、光沢のある、銀色にも輝く美しい「いぶし瓦」となって姿を現します。
西暦1916年、初代一ノ瀬弥左衛門・堅次によって、一ノ瀬瓦工業は誕生。数々の試練をくぐり抜けて、現在は五代目・一ノ瀬靖博さんの代。跡を継いだばかりの若かりし頃「想像していた以上に仕事はきつく、すぐ逃げ出したくなりました」。そんな時友人から誘われた京都旅行で街並みを見て、抱いた感情は“誇り”。「瓦一枚一枚の点を並べて『線』になった景色は単純にかっこいいと思いました。線の芸術だと。瓦はクールで可能性を秘めているものだとも。これで生きていこう」。
1400年という時空を超え、美しさと強さが隣り合わせに存在する瓦を見た時、失いかけていた野望と希望が、まだ見ぬ明日へ向かう自信となっていました。
瓦を世界へ…、新たなる一歩
瓦の歴史を海外へ。異業種にも進出していますが「やりたいことは『瓦』です」。一ノ瀬さんが目指したのは、まずアメリカ。日本の文化をアメリカで広げ逆輸入させることで、瓦文化をもう一度日本で浸透できるのではないか?と。「日本の若い人に瓦を知ってもらいたい。京都のような街並みを作りたい」と掴んだチャンスは、イェール大学の「Japanese Tea Gate Project」という名の壮大なもの。日本からは一社のみでした。
瓦を違うカタチに表現した「icci KAWARA PRODUCTS」のコンセプトは、「瓦」という日本のヒトカケラを『屋根の上からテノヒラの上に』。和でも洋でもない、でも和にも洋にもなる自由自在の瓦を一ノ瀬流に七変化させました。
常に頭の中に「家業を終わらせていいのか?」と自問自答してきた日々。「絶対、ただの瓦で終わらせるものか!!」と意気込んだあのとき。答えもゴールも、まだかもしれないけれど、伝統と可能性から新しいカタチが生まれることを信じ、一ノ瀬瓦工業はきょうも瓦一枚で表現し続けます、この先もずっと。