癒しの時間に想いを馳せて
移ろう四季の姿をありのままの自然として愛でるだけでなく、盆栽や生け花として楽しむ日本の文化。近年インテリアとして人気が高く、不思議な安らぎを与えてくれる「苔玉」に魅せられた苔玉職人・太刀岡昇さんのお話です。
唯一無二の苔玉をつくる
標高1295m、山梨百名山のひとつに数えられる太刀岡山。昇仙峡に程近いこの自然豊かな山の麓で、苔玉職人・太刀岡昇さんは暮らしています。苔玉は、根を土と絡ませ丸く固め、周囲を苔で覆うことで盆栽よりも手軽に扱いやすいように形状を変えたもの。製作方法に決まりはなく、さまざまな手法が用いられますが、太刀岡さんの製作する苔玉は、ほかとは一線を画します。
苔には普通の植物と違い根がないため、空気中の水分を吸って生育する特徴があります。そのため、乾燥に弱くベースの苔だけでは保湿の管理が難しいのです。「最初の頃は、私も知らずにベースの苔だけで完成していましたが、お客様の手元に渡って1ヵ月もしないうちにだめになってしまうことが多く、補修してほしいと苦情が相次いだんです。そこから、試作を繰り返して、乾燥に強いホソバオキナゴケなどを使い、今の苔玉の形になりました」。
苔玉と真摯に向き合う日々
以前は都内の園芸店に勤めながら学んでいたそうですが、当時から「土に還る園芸」がしたかったといいます。自分の目指す園芸のための拠点探しを始めた太刀岡さん。友人を介して出会った男性から、太刀岡山の麓にあるログハウスを譲りうけ、自然と向き合う生活が始まりました。
初めのうちは毎日のように山へ出向き、人との会話は買い物での「いらっしゃいませ」のみ。植物と真っ向から向き合い、製作に没頭する日々を送っていたそう。「育てる・愛でるだけじゃない。心がフラットに戻れることが苔玉の最大の魅力」と、植物と共に自分と対峙する時間の大切さを工房に訪れる人に説き続けます。太刀岡さんの手渡す苔玉は単なる鑑賞物ではありません。苔玉の取り持つ一期一会の出会いを慈しみ、生活の豊かさやゆとりを持つ意味を伝えていきたいという想いが一つ一つの苔玉に託されているのです。
「このログハウスを譲ってもらって導かれるようにこの地に来て以来、年々出会う人との繋がりが深くなっています。本当にありがたいことですね。だからこそ、これからもワークショップや対面販売で相手と顔を見合わせながら自分の言葉で苔玉の魅力を伝え続けていきたいです」と目を細めます。多くのものが溢れる現代。見た目の綺麗さや可愛さにとどまらない、心の充足に繋がる太刀岡さんの苔玉をあなたならどのように嗜みますか。